2025/02/04火
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seesaa
「よくある発想の転換」3
当時に親交のあった、佐藤が言ったことだったが、あの漫画を見た佐藤は「これは、お前じゃ無い」と言ったのである。これはよく憶えている。どこが、私じゃないのかというと、多分に、自分は日常、控えめでおとなしくて真面目めいていたし、大体責任感が強いし、教科書は駄目だったが本などはよく読んでいた。
なので、この漫画はお前じゃないと言ったのである。
漫画のキャラが、自分なのかそうでないのか、或いは歌舞いているのか、そんなことはどうだっていいことだと思う。作品は、原稿は実在だけど、中身、描かれてあることは虚々実々のことが多い。嘘じゃないのだけど、エンタメのために、そうなっているだけの話しだと考える。
前回、記事に覚悟と書いたけど、悟りとは、覚悟ということではあるまいか。何しろ、自分を描こうと思いついたのだったが、書き出した時には、顔から火が出ていた。(笑)
それに、とても熱いものも感じていた。身体も熱いし、それより「これで行くんだ!」といったことだったと思う。自分は控えめなので、この漫画は、締め切り日が過ぎたから、そのため、応募圏外となって、これは応募の作品じゃないから、描けたのだみたいな、縛りが取れたみたいな具合でこれまで言ってきた。
これは違い。それもあったのだろうけど、応募は意識していたし。ひょっとしたらみたいな気持ちはあった。締め切り過ぎてたけれど。1日くらい、って感じだし。
それで、あの漫画は、如実に生々しい。今どきの言葉で、これはやばいみたいな処があった。それに、確かに裸になっている。自分はよく、この「裸」という言葉、ことをsexと対照させている。だって、恥ずかしいじゃない?
でも、それだから、お互いがどきどきするところがある。それだから、佐藤も、これはお前じゃないと言ったが、その裏には、やだぁ~、こんなの~っていった、裸を見るような、そんな感覚にも襲われたのだかも知れない。佐藤はにやにやしながら、見ていたのだったが。
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何だか、ここに来て、禅機現というのが、判りそうだ。


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